「アルジャーノンに花束を」という本
この本 読んでみた
下記の様なストーリーでした
知的障害を持つ主人公が、知能向上の研究をしている教授たちによって手術を施されて天才的な頭脳を得る
知能が向上していくに従って、自分を取り巻いていた世界や人間関係を認識し理解するようになり、同時に様々な感情を抱くようになる
動物による実験にて先に同じ手術を施されていたネズミの様相が変化していく過程を目の当たりにして、主人公も同じ運命を辿ることを悟る
本小説は、手術を施された主人公が、施術した教授たちに宛てた自由記述式報告書の形を取って つれずれなるままに記されているのが特徴的です。
前半は容易に想像できるストーリー展開でしたが後半は果たしてどのような報告書になっているのでしょうか。
読んだから知ってますけどね(笑)
独り言
これまで、「知恵」と「知能」の明確な判別を意識したことは無いのですが、本小説で語られている内容から「知能」について考えるに、過ごしてきた時間的および空間的な繋がりを認識したり、置かれている状況を把握したり、書籍や文献から得た知識も合わせてそれらを基に考えて物事を上手く処理していく能力のことなのかなと思います。
本書においても主人公が述べているように、「教育を受けることの重要な理由は、今まで信じ込んでいたことが真実ではないことと、何事も外見だけでは判らないということを学ぶため」とあります。
他人と比較して学習能力に差があるといえども、「学ぶ」ということの重要性を改めて考えました。「なぜ?という好奇心」がなければ知能(知恵)の向上は無いので、物事の後ろに隠れていることも見えてきません。
時間を経るにつれて主人公は知能が急上昇していきます。そして、いつの間にか教授や研究者を見下す様になっていく描写があるのですが、これは何も天才的な知能を得た主人公に限った話ではなく、例えば、金銭的あるいは技術的に自分よりも下なら嘲笑し、自分よりも上ならやっかみを感じるといった心情が人間に具わっているのが普通なので、ワタクシ達の日常に於いてもあり得ることだなと自戒の念を抱かずにはいられません。
ネタバレになってしまいますが、主人公は途中から知能や知識さらに記憶を失い始めます(元に戻り始める)。 そのときに、失う恐怖心が周りへの八つ当たりとなり、有ったものを失った時に同時に他の何かも失ってしまうというような叙述もありました。
確か、「夜と霧」という本だったのですが、著者の「人間は環境にふさわしい振る舞いをする」との言葉を思い出しました。
自分の身に降りかかることというのは他人にとっては無関係であって、苦境に置かれた自分の感情で他人を攻撃してしまうのは筋違いであるのですが、理解できなくもないので複雑な気分です。
あと、なるほどなと思った一文です。
「金や物を与える人間は大勢いるが、時間と愛情を与える人間は少ない」
「人間的な愛情の裏打ちの無い知能や教育は何の値打ちも無い」
「知識を求める心が愛情を排除していく」
以上です